折り畳み自転車でいこう!

麦草峠アタック 2000

2000 年 9 月 30 日 / 10 月 1 日

BD-1 を買って,はじめて遠くまで輪行してのサイクリング.それは 97 年の麦草峠だった.苦しい登り坂.でも 7 速の BD-1 でなんとか登り切った.それからぼくの BD-1 との世界が一気に広がった.
麦草峠を登ったときに学んだことは BD-1 の 7 段変速では,峠の登り坂を登るのはちょっと辛いということだ.そこで BD-1 のフロントチェーンリングを 2 枚にし,14 段変速にした.14 速になって,軽いギアが使えるようになったので,2 度目の麦草峠は楽だった.それに 2 度目は弟も一緒だった.

そして今のぼくの BD-1 はフロント 2 段 x リア 9 段の 18 段変速だ.BB やハブ,リム,タイヤ,リアスプロケット,そしてクランクにハンドルバー.消耗したり,ぶつけてゆがんでしまっていた部品もあったのもあって,ほぼ全ての部品を交換した.乗車姿勢に不満がありハンドルバーを交換して前傾姿勢を強くしたかった.これらも サイクルテック IKD の片岡さんにお願いして 2000 年の夏には,形になっていた.16" 1 3/8 という 18" HE サイズよりちょっと小さいホイールにプリモコメットというタイヤを履いた新しい BD-1 は劇的に走りが軽くなった.これは麦草峠で試さなければ...
BD-1 に手をいれたら麦草峠で試さずにはいられない.ぼくにとってはそういう場所なのだ.

標高 2127 m の麦草峠.その八ヶ岳を横断する標高差 1300 m のコース.いっとくさんとヤビツ峠を走ったときなどは,ぜひ一緒に麦草峠ってことでもりあがった.いっとくさんと連絡を取りながら,スケジュール調整を行い日取りを決定.メーリングリストで参加を呼びかける.標高 2000 m を越える峠を走ろう!その企画に最終的に参加するのはぼくを含めて 6 人になった.

東京方面からはいっとくさん,須藤さん,吉田信生さん,おのひろき. そして名古屋方面から HIDE さんとあんちゃん.

HIDE さんのパシフィックはドロップハンドルになっているし,軽量化の為にかなり手が入っている.HIDE さん自身もかなりの乗り手.あんちゃんのパシフィックはほぼノーマルに見えるけどやっぱり乗り手が強いのだ.

いっとくさんは北海道ツーリングなどの長期ツーリングをこなしているし,須藤さんも海外ツーリングなどの経験があり,このアマンダ 20" フォールディングで参加する2人は本格ツーリング派といったところか.

吉田信生さんは BD-3 を買って 2 カ月.今回がはじめての本格的なサイクリング.メーリングリストで BD-1 を買うか BD-3 を買うかと話題にしたときに,「峠などをツーリングするなら BD-3 だ」という言葉を信じて BD-3 を購入したということである.はたして,BD-3 はその真価を発揮するのか.

東京方面のメンバーは新宿からスーパーあずさで茅野駅へ.9 時ちょっと過ぎに到着して,さっそく走る準備を.そうしているとそこに HIDE さんとあんちゃんが登場.簡単に自己紹介してさっそく走り始める.

今回も GPS III+ に予めルートを設定してあったので,それを見ながらすすむ.すぐに国道にでるつもりだったが,それと平行した裏道をすすむ.GPS を見て大体平行に走っているからまぁいいやくらいのお気楽さ.いつまでも裏道を走っていてもコンビニエンスストアを見つけて買い物することができないので国道へ.しばらく走ってからコンビニエンスストアでお買い物をしてちょっと休憩.

ここから先は名古屋からの HIDE さんとあんちゃんはスケジュールがつまっているって事で先行.2人とも力強い走りであっというまに見えなくなった.途中前回とは違ったコースになる.どうも新しくできた農業道路のようだ.

HIDE さんとあんちゃんが見えなくなって,残ったのは須藤さん,いっとくさん,吉田信生さん,おのひろきの 4 人.本格ツーリング派でアマンダ号の須藤さん,いっとくさんはやはり余裕がありそう.いっとくさんはこんな本格的な峠ははじめてなんて言っていたけど,やっぱり余裕がありそうだ.
BD-3 を買ってまだ 2 カ月だという吉田信生さんはさすがに大変そう.後から見ていて,もっと軽いギアを使った方がいいのではないかとか,ペダリングをしているときにかかとが下がっているのは,サドルが低すぎるからではないかとか,いろいろ口を挟む.最初は,あんまり時間がかかると宿の晩ご飯に間に合わなくなるので,それがけっこう心配でした.やっぱり美味しい晩ご飯が食べられるかどうかは重要です.でも一緒に走っていると,吉田信生さんはやっぱりペースは遅いのですが,それでも時間をみると決して悪くないのです.あらかじめ考えていたペースと比べて,特に遅れがない.つまりぼくが最初に麦草峠にチャレンジしたときよりもよっぽど良い感じで走っているような.はげましたり脅したり(笑)しながら走っていると,わまりの木が広葉樹から針葉樹に変わってくる.せっかくの峠なのにあいにくの天気で下界を見渡せるということもなくとても残念だったのだが,吉田信生さんに周りの樹木の変化を指摘すると,やっとかなりの標高になりつつあるということを実感できたようで.

途中で雨が降り出した.スタート時は晴れていたのに.大した事はないかなって思ったのだが,すぐに強い雨になってきたので,結局は用意した雨具をフル装備だ.ゴアテックスの靴下.防水防風透湿テキサポールの上下のウェア.手袋は完全防水ではないが,多少の防水性と防風性のあるゴアウインドストッパー.雨の中のダウンヒルでは,しっかりした手袋は大切になる.下りで使うつもりだったが思いの外雨が強いのでさっそく使うことに.雨が降らなかったときの防風対策で,ゴアウインドストッパー・アンダーウェアのシャツも着ていたが,その上からテキサポールのジャケットも重ね着してしまった.結局上は,メッシュのシャツの上にゴアウインドストッパー・アンダーウェア,フリース,テキサポールジャケットという重ね着になった.これがかなり快適で汗をかいても蒸れない.フリースが汗で濡れても,その下にゴアウインドストッパー・アンダーウェアを着ているからか冷たさを感じない.気温が低いときの雨対策はこれが一番だなって思う.
いっとくさん,須藤さんもそれぞれシューズカバーなども用意してあって,さすがに経験豊富なだけあっていろいろ細かい装備.
吉田信生さんは事前に最低でも防風ジャケットがないとだめで,雨の心配があれば当然雨具も必要と伝えてあったので,この日のためにモンベルのゴアテックスレインウェアを準備してきていた.うーんさすがのぼくもゴアテックスレインウェアは手をだしていないなぁ(笑).

さらに登って冬期封鎖されるゲートまでたどり着いた.ぼくよりも先を走っていた須藤さんといっとくさんが,待ってくれている.ぼくもそこで吉田信生さんが登ってくるのを待つ.3 人で吉田信生さんは良く頑張っているとしきりに感心する.BD-3 がすばらしいのか?(笑)
吉田信生さんも登ってきてしばらく休憩していると,上からHIDE さんとあんちゃんの2人組みが降りてきた.もう登って降りてきたわけだ.やっぱり速いな. 少し話をして,急いで帰らなければならない2人を見送る.

さぁここからはさらに厳しい登り.でももう少しだ.

登る途中,どこも休んだ覚えのある場所ばかり.つまりこれまで何回か登ったのはいつもほんとに休み休みだったのだ.今回もそうだけど.

そこからさきはもうそれほど残りはないし,自分にとってもきっつい坂でもあるので,途中で吉田信生さんを振り切ってどんどん登ることにした.いっとくさんと須藤さんはすでに先行して見えなくなっている.なーんとなくおぼえている道.やっと登り切った.今日は天気が悪いので,先の見通しが悪い.でも見慣れた麦草ヒュッテの看板が.それほど待つこともなく吉田信生さんも到着.うーん本当に登り切ったね.

さっそく麦草ヒュッテに入る.中であたたい食事にありつく.適度に休みをいれて,さて下りである.今回は雨も降っているし,下ってさっさと輪行しようということで,八千穂に向かわずに松原湖方面へ下り,さらに小海線のうみじり駅から輪行することに.

雨でもおのひろきは良いペースで下っていく.吉田信生さんもついてくる.意外なことにあのいっとくさんがずいぶんゆっくり下ってきた.なんでも自転車の調子が悪いらしい.振動がでてしまうとか.

1 時間ほどで松原湖までくだってしまって,なんだか時間的には余裕たっぷり.駅は非常に小さくて,周りになにもないところにひっそりと.GPS を頼りにしなかったら果たして見つける事ができたかどうか...無人駅なので,ホームまで自転車で乗り入れて,そこでそれぞれ輪行の準備.準備の途中で逆方向の小諸方面の列車が来た.列車の乗員に輪行袋に入れないとだめかと聞いたら,規則だからやっぱり入れてくれと言う.やっぱりそうだよなって重いながら輪行準備を続けて,野辺山へむかうために小淵沢方面域の列車を待つ.ちなみに小海線はディーゼル機関車で電車ではないのだ.

そしてぼくのなじみの宿である旅人宿こっつぁんちに.ここは「とほ宿」ってやつだ.いっとくさんは,客同士の団らんがあるようなところは苦手って言っていたけど,仲間数人で行くのだったらたまにはこういうのもいいでしょ?
いつもおいしい料理.見知った顔.くつろぎげる場所.

翌日.三国峠・中津川林道を下って、西武秩父から輪行という須藤さん計画のルートに皆で挑戦することに.しかしながら吉田信生さんは燃え尽きていて,今日はもう走らずに野辺山から輪行して帰るという.野辺山駅まで皆で見送りに.改札を通って小淵沢方面のホームに向かう吉田信生を見送ってからさて走ろうかってときに,おのひろきの BD-1 のスポークが折れているのが発見される.よく見ると 3 本も折れている.いったいいつの間に....
でもこの 3 人の間にあるなんとなくの安堵感はいったいなんなのだ(笑)

中津川林道はダートも含むので,スポーク折れがなくても大丈夫かって感じがなんとなく...結局は三国峠は断念して,お気楽に八ヶ岳高原道路を通って小淵沢に向かい,温泉に入ることに.ホームで列車を待つ吉田信生さんにもう一度声をかけて,コース変更の事情を説明する.が,やはり吉田信生さんはもう走らないと.

結局いっとくさん,須藤さんとで八ヶ岳高原道路を走ることに.まぁスポークも折れているってことで控え目にたらたらと.

温泉はスパティオ小淵沢の延命の湯.温泉の後はスパティオ小淵沢のホテルの上にある中華レストランへ.話題は吉田さんはがんばったねぇ.BD-3 って実はすごいのかねぇって話(笑).小淵沢駅からは,指定席が取れなかったので,特急の自由席になったのだが,やっぱり席はない上に,自転車と自分のためのスペースを確保するのもやっとというありさま.鈍行で帰ったほうが楽だったかも....

そうして麦草峠アタック 2000 は終わった.

かなり後になって分かることだが,この麦草峠アタック 2000 の一番の収穫は,BD サイクリングクラブ・メーリングリストにツーリングレポートのおもしろい吉田信生さんが「出現した」ことだった.BD サイクリングクラブ・メーリングリストは,始めから目指していた「一緒に走ろう」という方向性が吉田信生さんの出現によってさらに強化され,一緒に走ろうという企画が次々に出てくることになる.



おのひろき onohiroki@cup.com

2000 年 11 月 16 日作成