2003 年 12 月の履歴(もしくは日誌)


2003 年 12 月

12 月 10 日 メモ

読み手

書きたい事を書いて, Internet で公開するときに,どのように読み手を意識するか.それによって,リンクとかトラックバックについての考え方も変わってくるかと思います.

この記事を読んで, Internet で Web を公開するときの立場/考え方のいくつかの類型について考えました.

まずは,沢山の人に見てほしいという考えの人.ぼくもこれです.Internet は公共のもので,そこで公開するからには,自由に閲覧してもらってかまわなくて,自由にリンクしてほしいし,どんどんトラックバックしてほしいと思っています.

次に一般に公開はしているけれど,なにかしら反応を返してくれる常連の人が大切であって,単に見ているだけで反応を返さない者の存在を無視するか,さらには邪魔なものと考えるような人です.まぁ反応を示さない人に対して,なんら負の感情を持っていないにしても,場合によっては会員制の閉じたメンバーでやりとりが必要になることもありますね.その場合もこれに分類してよいでしょう.

そんな単純なキモチではなくて,もっと複雑な気持ちを持っている人がいることが,いろいろ指摘されています.

「圏外からひとこと」では「儀礼的無関心」という用語を使っています.つまり他人に対して必要以上に干渉しないように気配りするというマナーを,Internet 上でも求めている人たちがいるのではないかという話.というよりは Internet 上の「儀礼的無関心」についての記事なんですね.

そして圏外からひとことの記事では以下のような仮定を結論としています:

つまり、自分の書いたものを人に見せたいのか見せたくないのか、そのことをハッキリ明言したくない、 それは他人に対してもそうだし、自分自身に対してもそうなのです。

引用終わり

ぼくがここで述べる結論は,他人に見てほしい人,常連さんだけ大切にしたい人,見せたいのか見せたくないのかはっきりさせたくない人の他に,もうひとつの類型があるのではないかという事です.

それは,距離感のある匿名の読み手を望んでいる人です.

  • 他人にどんどん見てほしい人
  • 特定の人だけ大切にしたい人
  • 見せたいのか見せたくないのかはっきりさせたくない人
  • 距離感のある匿名の読み手に見てほしい人

書いたものを誰かに見てほしい.でも,その誰かは少ない方が良くて,しかも自分の前に具体的な存在として現れないで欲しいと言う要求です.

こっそり Internet で公開したいと言う要求は,なんだか難しい考えで,それで,必ずしも,自分の知っている人だけに見てほしいというわけではなく,自分の事を知らない人が知らないままに見てほしいと言う要求もあるのだと思います.

ただ書きたい事を書いて,多くではない少ない数の誰かが,ただそれを読んでくれて,その読み手は,決して自分に対して具体的な存在として現れないというのを望んでいるのではないでしょうか.

ここで重要なのは,読み手と書き手の距離感です.遠い存在のほうが,自分の実生活に影響を与えないし,自分が相手に気を使う事も少なくて都合が良いのです.

きっと,自分で書きたい事を書きたいように書いて,遠い存在の誰かに読んでもらうという行為が,書き手の精神面に何か良い効果をもたらすのでしょう.

本当に近しい間柄の人と,まったくしらない遠い人には見てほしいけど,半端に自分を知っていたり,自分が所属しているコミュニティの人には見てほしくないという,とても微妙な要求があります.

そして匿名で Web サイトを初めて公開したときは良いのですが,続けて行くうちに,その Web サイトで人の集まりが出来てしまったりすると,それに愛着は持ちつつも,自分とどのように距離感を保てば良いのかと悩んむことになりそうです.

そういう事情があると,リンクしたりトラックバックされたりというのは,都合が悪いという事もあるでしょう.なぜなら,リンクしたりトラックバックしてきたりする相手というのは,すでにある Web サイトからリンクしたりトラックバックしてくるというだけで,かなり具体的な存在なのであまり関わりたくないのかと.

なんとなく,そんな事をつらつら考えたので,ここに書いてみました.

読み返してみると,ぼくが最後にあげた類型に該当すると自己判断した人は,ぼくの書き方に対してなにか感じるかもしれませんが,ぼくは別に批判したいのではなくて,自分と違う考え方を,こういう形で認識・理解しようと思っているだけですので.

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