履歴もしくは日誌
2004 年 5 月の履歴(もしくは日誌)
2004 年 5 月
5 月 15 日
Web の私物感とソーシャルネットワーク
Weblog も含めて Web で何かを書くという事は,誰でも閲覧できる場に公開し,不特定多数に閲覧されることが前提です.そして自分が書いたものに,リンクされたりトラックバックされたりするという事もおこります.ひとたび公開すれば,それに対して他者が何かをどこかに書くということは止められません.
書いた事に対しては責任を持たなければなりません.でも,リンクされること,トラックバックされること,反対意見を述べられること,そういうことが受け入れられないという人が,いつでも一定の割合で存在するようです.自分で書いたものがどこまでコントロールできるのかという点について,勘違いがあるのではないでしょうか.
公共の場に出してしまうなら,不特定多数に読まれるのに耐えるものを書くしかないと思います.読み手を意識し,ある程度の客観性を持って自分の書いた物を見る事ができるかどうかが問われます.読み手は書き手とは異なる文化/思想/嗜好/背景を持っているのですから,仲間内だけでしか通らないような書き方は良く無いでしょう.曖昧な表現よりはっきりした表現.難解な文章よりも簡潔でわかりやすい文章が良いと思います.
自分が書いたものがプライベートなものとして Internet 上でコントロールできると思っている人は Internet で公開してあるものに対して私物感をもっていて,それ故に勝手にリンクされたり想定していなかったようなトラックバックを受ける事に,戸惑いを感じるのではないでしょうか.
Web で公開したものは,公開したときから書き手のプライベートな範囲にはなく,公共の場にあるのです.書き手はどのような人が閲覧するかとか,どのように受け取られるか,どのような反応を受けるかという事に関して,ほとんどコントロールできないと思います.
不特定多数に読まれるのに耐えられないようなものを公開するのであれば,想定しない読み手がでること,読み手にうまく伝わらないことが生ずることを受け入れなければならないと思います.そのような問題は受け入れられないけど,やりたいようにやりたいと思う人は,Interenet で公開した文書に対してどこまで自分でコントロールできるかという点で勘違いがあるのです.自分の書いたものは私物だからコントロールできるはずだという勘違い.
では,自分が書いたものに対して私物感を持つのは間違いなのでしょうか.そういう私物感は現在の Web の仕組みや文化とは相容れないとは思うのですが,需要があるのですから「私物感」を与えてくれる仕組みを新たに作れば良いのではないかと思います.
最近になって話題になっているソーシャルネットワークサービスこそが,その「私物感」を与えることができる仕組みなのではないでしょうか.
Echoo! では,エコログと名付けた Weblog の機能があるのですが,これを Internet に公開するか,Echoo! の会員だけに閲覧を許すかを設定で選択できます.さらに自分の友達だけに閲覧を許すとか,自分の参加しているグループ(コミュニティ)のメンバーにだけ閲覧を許すとか,そういった細かい設定ができれば,よりプライベートよりな仕組みが作れるのではないでしょうか.「私物としてコントロールしたい」という欲求を満たす事ができそうです.
ソーシャルネットワークサービス内に限定するなら閲覧する人を制限できる上に,誰がいつ閲覧したかとか,コメントしたのが誰かなども追跡可能です.
必要な人はソーシャルネットワークサービスを利用して,自分と特定のつながりがある人だけに Weblog の閲覧を許したり,コメントやトラックバックを許すことが出来るようになる訳です.それによって「私物としてコントロールしたい」という欲求が満たされ,「勝手にリンクするな」とか,「トラックバックおことわり」とか,「反対意見は受け入れられない」などといった意識でもやっていけそうです.
はてなダイアリーは,すでにプライベートモードという設定があり,特定の ID だけに閲覧を許すという機能があります.しかしこれは,はてなダイアリーの書き手が読み手の ID を設定するだけの機能なので,ソーシャルネットワークサービスで一般的な友達つながりを広げるような支援が無く,うまく運営するのは難しいだろうと思います.
ソーシャルネットワークサービスは,今後コミュニティ運営支援とか Weblog サービスなどと組み合わされて発展して行くのでしょう.これまで不特定多数とか匿名の誰かを相手にしなければならなかったのが,認証された人だけを相手にするという選択肢も提供されることになります.昔のパソコン通信みたいだという指摘がどこかでされていたと思いますが,たしかにそんな感じだと思います.
もっとも,こういった話題は,Six Apart から TypeKey が発表された時にあちこちで語られていました.
NDO::Weblog では以下のように書かれていました:
ソーシャルネットワーキングシステムを作ってウェブログとインテグレーションするのではなく、ウェブログをベースにソーシャルネットワーク化するというアプローチ。
引用終わり.
なるほど,ソーシャルネットワーキングサービスから Weblog を統合しようという動きと,Weblog をベースにソーシャルネットワーク化するという動きが同時におこるのかもしれません.認証システムによって,「誰なのか」という部分をある程度保証することが重要になってくるのでしょう.
TypeKey を試してみて,やっと Zopto がなんなのかちょっとだけ分かりました.Zopto でアカウントをつくると,自分の FOAF が生成されます.そして Zopto は SharedID.com と協調して動くようです.コメントを書き込みする前に,認証サーバで認証することで誰の書き込みなのかを保証する仕組みというのが TypeKey だったり ShardID だったりするようですね.ShardID に対応した掲示板 CGI とかあったら設置してみたいものです.
最後に「私物感」についての説明:
- 私物感
-
「日本人にはBlogより日記」、はてなの人気に迫る - CNET Japanという記事で,はてな代表の近藤さんの言葉として,「私物感」という言葉が使われていました.ぼくはこの見方はとてもおもしろいと思いましたし,ぼくが感じていた違和感を良く説明してくれてると感じました.その部分を引用します:
XMLによる外部へのデータ提供は、日本人の「引きこもり性」に合っていないのではないかと思うことがあります。自分のホームページのデータを誰でも勝手に使えるように公開するという方法と、日本人の持つ「ホームページ」という私物感とが相容れないのではないかと思うのです。海外では、ホームページを作成し公開するということは、万人に公開することだという認識があると思うのですが、日本では「我が家へようこそ」というのがホームページに対する認識ではないでしょうか。
引用終わり.
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