2005 年 4 月の履歴(もしくは日誌)


2005 年 4 月

4 月 28 日

ネットは特別なのか

ぼくにとってネットはなにか特別なものではありません.ネットと現実と分けて物事を語る人もいますが,ネットと現実が対立する別の世界なわけでなく,やはり現実世界の中にネットがあるだけのことです.そしてネットではネット特有の文化やルールがあるものの,それが現実世界から大きく乖離しているという訳でもないと思います.現実世界が単一の文化でないのと同様にネットの中もまた単一の文化ではなく,さまざまな文化があるわけです.

ぼくはネットは現実世界から連続したものとして捉えています.現実世界の公の場で発言できないようなことはネットでも発言できません.それは匿名でも伏せ字を使っても同じ事です.私的なやりとりだけで話すような事柄は,やはりネットでも私的なやりとりでしかしません.Web ページは公の場で,知人とやり取りするメールやインスタントメッセージは私的なものでしょう.もちろん公の場である Web ページで私的な事を語っても特に問題だというわけではありませんが.

よくネットは自由だという話を聞きますが,実際に何が自由なのでしょうか.ぼくは普段の生活で,言論の制限を感じて暮らしているわけでもないですし,日々監視の下に置かれているとう感覚もありません.ネットではできるけど現実世界では出来ないことってどれくらいあるでしょう.もちろんネットでは現実世界よりも簡単にできることがあるのは確かです.いろいろ書いた事を沢山の人に呼んでもらう事,これはぼくの場合なら Web サイトをやっていなかったらもっともっと小さな規模になったでしょう.またぼくはメーリングリストを運営して,そこに集まった自転車仲間とサイクリングをして楽しんでいますが,やはり Internet を利用しなかったらぼくがサイクリングクラブの運営をするなんて事は無かったと思います.でもできるできないでいったら,ネットぢゃなくちゃ不可能ってことがどれだけあるでしょう.

ネット以外では,徒歩の速度だったコミュニケーションが,Internet で自転車くらいの速度と効率に近づいたって程度では?

Internet が普及してきて,従来は特に興味があるから使っていた人達のものが,そうではなくなってきていると思います.使い始めて感化されて「ネットは自由だ!」ってんで開放感を味わってしまうような人もいる一方で,なんとなく使い始めてある Interent 上でのコミュニティに参加して,そこの文化の現実世界との文化の違いから強い違和感を感じとても不安になってしまう人もいるようです.それはそこの文化がちょっと(その人にとって)変なだけで,もっと普通の人(とその人にとって感じられる人)が沢山いるのです.ただそこでは発言しないで目立たな無いのかもしれないし,もっと別の場所にいるのかもしれませんが.

多くの人にとっては,ネットで知り合った人との人間関係は,ネット以外での人間関係と完全に分離した異質なものになっているのかもしれません.現実世界ではうまくやっているのにネットでの人間関係の難しく感じる理由をネットは別の世界だからする人,ネットではうまくやっているのに現実世界での人間関係の難しく感じる理由をネットは別の世界だからする人,そんな人が多いのかしらん.そういう心理が現実世界とネットを分離したがっているのでしょうか.

なんにしても,ネットは単に現実世界の切り口のひとつだったり,手段のひとつだったりするだけでしょう.

どうして人はネットと現実とを異なる世界と分けて物事を語るのでしょう?

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