2005 年 6 月の履歴(もしくは日誌)


2005 年 6 月

6 月 28 日

ネットで実名

ぼくは,ネットで実名を出すというのがそれほどリスクがあるとは思いません.なんでも大学などで「ネットで実名を出すな」みたいな教育を受けたという人がいるそうですが,その大学ではいったい何を教えているのかと思ってしまいます.ぼくはネットでは実名か仮名かはあまり差がないと思います.ぼくの実名と「おのひろき」というハンドルでどっちが価値があるかといったら,ネットでは「おのひろき」というハンドルのほうが意味があるはずです.それは「おのひろき」というハンドルが「おのひろきおんらいん」という Web サイトや,BD サイクリングクラブやリカンベントサイクリングクラブのメーリングリストなどとつながりがあり,その繋がりによって「おのひろき」というハンドルの人格が,Web サイトとかメーリングリストでの発言から想像されるところの人格と一致するものとされるからです.

人格のある仮名と人格のある実名は,ネット上での価値は同じだと思います.

それが実名でなく仮名であっても,その仮名で Weblog などを運営していて,ネット上での人格と仮名のつながりがあり,他者がつながりを追う事ができるのであれば,その仮名には価値があると感じます.

またネット上で実名で発言したところで,その実名で Weblog を運営するとか,公開されているメーリングリストに参加して発言しているなどのネット上の活動が無いのであれば,他者が実名からその人の人格へのつながりを追う事ができないので,実名に特に価値がないように感じます.もちろん,名前を出せば多くの人があの人かって分かるほどならまた別ですけど.

人格無き匿名と実名はかなり違うものだと思います.

誰かが運営する掲示板に匿名で書き込みしたり,誰かの Weblog に匿名でコメントを書き込みしたりするのは,もちろん悪い事ではありません.でも,その匿名の人物がどういう人なのかわからないのであれば,発言に対してその匿名の人が責任を持つ事は期待できない訳です.なんらかの仮名を使ったり,または実名を使ったとしても,その人への確実な連絡方法が用意されていなかったり,その人が運営している Weblog や Web サイトが見つからないのであれば,やっぱりその仮名や実名が人格に結びつかないわけだから,仮名や実名に価値がないと感じます.

ネット上の活動で自分のネット上での人格を表現し,その人格とハンドルを結びつける事を意識するのであれば,ネット上で名乗る「ハンドル」って重要だし,そのハンドルをどのように使うか,どれくらい使い続けるかというのを考えなければなりません.

ネット上の活動が自分のネット上での人格を表現するのであれば Weblog や Web サイトの運営ってものにある程度の責任があるということになると思うのです.ですから簡単に Weblog や Web サイトを閉鎖して過去のリソースにアクセスできないようにする事は,無責任な行為に感じてしまいます.

ネット上で名乗る「ハンドル」は重要で,他人とのコミュニケーションを前提にした時に,良いハンドルと良くないハンドルがあるのではないかと思うのです.その話は「2005-01-28 : なまえとコミュニケーション」に書きました.あまり良く書けてないなって我ながら思うのですが.

ここで用語を整理しておきます:

ハンドル
ここでは,ネットワークで名乗る名前の事.
実名
ここでは,公的な手続きなどで用いる名前の事.
仮名
実名とは別の名前.
匿名
ここでは実名もしくは普段使っているハンドルを隠して発言する事.またはその時に使う仮名.

で,これまた「ネットで実名」ってことが話題になってますね.

これから引用します:

ブログ上での発言に「実名」を義務づけたりすれば、現在の爆発的なブログ人気は望むべくもないでしょう。また、内容も、実名で書ける当たり障りのないものにとどまって、おもしろくもおかしくもない、というものになりかねないと思います。

引用終わり.

もし,Weblog での情報発信について実名公開が義務化されたら,現在の Weblog の盛り上がりは少しさめるかもしれません.でも,実名公開が義務化されたら,おもしろいものがなくなるのではないかなんて心配は,まったく感じません.

で,実はこの話題のきっかけは共同通信の記事がもとになっている話題なのですが:

この記事の内容をそのまま信じると,Weblog での情報発信について実名公開が義務化されるかのような印象ですが,この記事の元になっている「情報フロンティア研究会報告書(案)には,ちょっと違ったことが書いてあるようです.引用します:

個人のICT利用意識の向上にも関連するが、ICTにより実現されるバーチャルな環境を、現実社会と同じ感覚で活用すること、すなわち、サイバースペース上で実名又は特定の仮名で他人と交流することを自然の術として身につけるための教育が必要である。

引用終わり.

ぼくも「情報フロンティア研究会報告書(案)」の全文を読んでません.趣味のWebデザイン 備忘録2005年06月24日での抜粋部分を読んだだけです.

これによると「実名もしくは特定の仮名で他人と交流すること」が大事だっていう話ですから,この報告書案を読んでから,共同通信の「実名でのネット活用促す 総務省「悪の温床」化防止」っていう記事を読むと,ずいぶん違った印象になるのではないかと思います.この記事を書いた立場は,今の Internet は受け入れられない,価値がないっていう立場なのでしょう.

ここらへんの話題については,やはり趣味のWebデザイン 備忘録2005年06月27日の記事は共感するところが多いです.匿名でなければ発信できない情報は多くないのですという部分はまったくそのとおりだと思います.
引用します:

総務省は SNS と老人世代のネット利用促進に期待をかけています。実名利用者が匿名利用者を人数で圧倒することにより、ウェブ情報の信頼性について各発信者が責任を負う世界を現出しようというのです。「実名を出して一定の節度と責任感を持って情報発信する」という常識を確立するのは、正しいことだと私は信じます。

引用終わり.

これについては,人格のある実名と人格のある仮名はネット上で等価であると思っているので,必ずしも実名が必要とは思いませんが,完全な匿名ではなく,ネット上のある特定の人格という形で情報発信するという事が,定着して行くのは好ましい事だと思います.自分がどういう人物なのかというのとセットで情報発信するっていうこと,自分の情報発信に責任を持つ事が大切なんだと思うのです.

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