2004 年 5 月の履歴(もしくは日誌)


2004 年 5 月

5 月 26 日

「語りモード」について

miharuqのひとりごと」で,会話が成立せずに話し手が一方的に語る状態になることを「語りモード」と定義し,それについての考察がいくつかあげられていました.みはるさんは,コミュニケーションの男女差などまで話を広げられていますが,それで何が問題だったのかが曖昧なままになってしまったような.ここではあえて,男女差という視点ではなくて,「語りモード」でなにが話題になっているのかを考えてみました.

ぼくが推測するに,その「語りモード」の問題とは,なにを主題にしているかに関係しているんぢゃないかと.

聞き手が会話の主題,話し手が会話の主題,第三者が会話の主題といったように,人間が話題になっているならなんとかなっても,知識もしくは概念が会話の主題の場合が受け入れがたいのではないでしょうか.

誰かが話題になって,語り手が一方的に話しているとき,聞き手は「そうなんだぁ」「それ本当?」なんて反応で足りそうで,それほどの負担ではなさそうです.

知識もしくは概念が会話の主題の場合は,聞き手が形だけでも取り繕って聞いているふりをするにも,ある程度理解しなければならず,難しい話題や興味の無い話題なら聞き手にそれだけ負担になります.

いったいどうして語り手は,一方的に語ってしまうのでしょう.
誰にとっても自分の話をちゃんと聞いてもらえるというのは,心地良いことだと思います.そして話をするのが好きなひとは,話をするのが気持ちよいのでしょう.ですから,話をすること,それを聞いてもらうということが目的になり得ます.また場合によっては聞き手が理解しているかどうかは,あまり問題にならず,自分が話していて聞き手が存在しているというだけで要求が満足されてしまうということがあります.
だから,いったい「語りモード」でなにを伝えたいのかという事を考察しても,実は伝えることが目的では無かったという結論もあり得ると思います.

そして人によっては,知識もしくは概念を話題にすることを好み,そういう人はお互いにそういう話を語るのは楽しいのだと思います.

まとめてみると,きっとみはるさんが受け入れがたい「語りモード」は,人が話題でなく知識もしくは概念が話題になっていて,難解だったり興味がなかったりという場合という事でしょう.
そういう「語りモード」を持つ人は,そもそも人との会話の技術が劣っているけど,知識もしくは概念を整理したり自分の言葉で説明するのには長けていて,そういう話をする事に喜びを感じていのだろうと推測します.

2 度は全面的に書き直したのに,この程度でした...

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