2006 年 11 月の履歴(もしくは日誌)


2006 年 11 月

11 月 15 日

チェーン日記とかチェーンメールとか

メールって個人から個人へのメッセージ.それに転送してってのが載ると「チェーンメール」になる.チェーンメールってまわりからは見えないから,他から訂正いれられない.あとから訂正できない.広がり始めたらまったくコントロールできなくなる.

もともと Web ページに書いた言葉って,ひとりから発して沢山の人に読まれるものだったと思う.つながりは広がりを持ち,面的な繋がり,立体的な繋がり.

でも誰でも Web に言葉を簡単に書けるようになって,皆が繋がって,それぞれがばらばらになった.つまり自分が書いたものは数人の知り合いだけが読むものだと思って書き,自分もいつも決まった数カ所の Web サイトを拾い読みするだけ.メールとあまり変わらないくらい,広がりの少ない線のようなつながり.線と線とがほとんど交わらない.どこまでも平行に.

Web を利用しても線のような繋がりだから,メールとあまりかわらない広がり.そこに「チェーン日記」が発生すれば,線をたどって「チェーンメール」のように.

Web の面上で,もしくは立体的な構造の上から,その「チェーン日記」の事を見下ろせば,なんどもなんども「チェーン日記」についての騒ぎが繰り返されるのが見えるだろう.

でも Web の線の上にいる人には騒ぎは見えない.話題になっているということも実はあまり実感がない.

Web の面上で,もしくは立体的な構造の上から,「チェーン日記」についての騒ぎがなんどもなんども繰り返されるのを見れば,なんで同じ過ちを繰り返すのか不思議だろう.

でも,騒ぎの線上の人は,以前の騒ぎを知らない.交わらないすぐとなりの線上の出来事は,まったく別世界の出来事であって,そんな騒ぎの事は知り得ない.

結局騒ぎが起こっているのは見えてみても,どういう構造の上で騒ぎが起こっているのかまでは見えていないんぢゃない?

繋がっているけど,つながっていない.皆ばらばら.

どうして「チェーン日記」の事が問題になるのか.どうして皆が簡単に考えて「転載」をするのか.Web の多次元的な広がりの上にいる人の問題でなくて,Web の 1 次元的な線上の人の問題なのではないか.

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