2012 年 6 月の履歴(もしくは日誌)


2012 年 6 月

6 月 23 日

ソーシャルメディアとコンプライアンスの話

ぼくはリアルとネットっていう分け方にいつも違和感を感じる.
先日職場でコンプライアンスの話があって,その中で twitter とか facebook などの SNS の利用は気をつけるようにって話があった.いろいろ世間で問題になった事例を紹介しながら.紹介されていた事例は機密漏洩の話だったり,個人の問題発言から会社がお詫びを掲載するような事になった話とか.職場ではそれらの事例に対していろいろ考えるべき点とか対策とかが話題にされていたけど,なんか問題の本質に届いていないように感じた.ぼくは問題の本質は facebook とか twitter とかを理解しないまま利用している事なんだと思う.

人と人とが顔をあわせてやり取りする事が「リアル」で,ネットワークサービスを通じてのやりとりを「ネット」とか「バーチャル」って呼んで「リアル」では無いとする感覚の問題にも通じると思う.そして問題は「リアル」かそうではないかって事ではない.「公」での発言の適切性の問題だと思う.

おおやけ(公)とは,つまり「社会」「公共」「世間」とか表だつこと.

社会人にとっての職場とか学生にとっての学校とかってのは実際はかなり小さなコミュニティだ.職場とか学校ってのは「公」ではない.それらは組織の内側だから.属している組織の外側が「公」だ.

多くの人は沢山の小さなコミュニティに属していても「公」で発言する機会なんてそんなにない.自分の言葉を直接に「公」で「公衆」に伝える手段など持たない.

ネットでの発言を職場とか学校と同等かそれよりも小さなコミュニティの中での発言だと取り違えるから問題になるのだ.実際はネットでの発言は職場や学校よりも大きなコミュニティでの発言となりうる.発言する時にそのコミュニティの大きさをうまく把握できない場合もあるし,発言がその内容のために話題になって,より大きな場に引きずり出される事もある.内輪での話だと思っていたものが「公」になってしまう.ネットでの発言は内輪にとどめておくのは難しくて,なんらかのきっかけで「公」になってしまう.

つまり twitter や facebook で言葉を使うときには,職場や学校などよりもよりも,もっと「公」な場であるという認識を持たなければならない.twitter や facebook を使うときにもっと小さなコミュニティの範囲でとどめたいと思うなら,それなりに慎重に注意深く利用する必要がある.そういうコントロールは失敗しがちである.それならはじめから「公」で発言していると思えば良いのだ.

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