センチュリーラン笠間 2000

茨城県笠間市 2000 年 9 月 3 日

198 年に弟に誘われて初めて出場したセンチュリーラン笠間.ぼくにとってははじめての自転車の大会だった.それからこの大会には毎回出るようにしている.はじめての大会は雨の中での大会で,BD-1 で出場して 9 時間近くかかったのだが,去年の大会では 7 時間 10 分とかなり良いタイムになった.ことしはなんとか 7 時間を切りたいという気合いだ.なんといっても BD-1 はハブ,スプロケット,変速機,ハンドル,そしてホイールとタイヤと,ほとんどの部品を交換しまったく別の軽い走りに生まれ変わっているのだから,その分速くならなければ...

去年は笠間に一泊してから大会に出たのだが,今年は友部駅から会場まで自走すれば宿をとる必要はないからそうしようと思った.実家からなら 5:10 ごろの電車に乗れば友部駅に 6:45 に到着する.

そんなこんなで前日の土曜日に BD-1 と一緒に実家に戻ることにした.土曜日になって簡単に整備をしたりして準備をする.前輪に組み込んだハブダイナモのライトシステムが不調なので,今回はダイナモ無しの普通のホイールを選択.良く調べるとその前輪のチューブはバルブ付近にダメージがあって,空気漏れがあった.しかたないので,チューブを交換.

実家には輪行して帰ることにしたのだが,大会で必要な事前車検の書類を自転車店で作ってもらわなければならない.実家の近くのサイクルサービスおおやまさんによって点検してもらい,書類を作ってもらう.いろいろお話しして実家に到着したら 23 時.そして寝たのはなぜか 2 時すぎだった....

朝 4 時に起床.ある程度の余裕をもって電車に乗る.やっぱり眠い.電車の中で少し寝ようとしたが,朝日がまぶしくて良く寝れない...そうこうしているうちに友部駅に到着.何百人と参加する大会であるから,輪行して来る人が外にもいるだろうと思ったら誰もいない....とっとと準備をして,会場に向かって走り始める.

駅には誰もいなかったが,駅から会場に向かう間は,自転車を積んだそれらしい自動車が何台もぼくを追い抜いていく.

会場に到着したらそのまま受付をする.受け付けに並んでいると,後の人に後輪の空気が抜けていると指摘を受ける.みてみるとなんと空気が完全になくなってパンクしている.駅から会場まではなんともなかったのに....見ると大きなホッチキスの針がぶっすりタイヤに刺さっている.どうしてこんなものが....

そのまま受付をすませて車検をパス.パンクを修理するのに,携帯用の空気入れでなく大きいフロアポンプが欲しかったので,すでに会場に到着しているだろう,おおわださんの車を探す.去年と同じ場所におおわださんの車を発見しる.あいさつもそここそ,実はパンクしましてって感じで,おおわださんに手伝ってもらってパンク修理.予備のチューブに交換し,穴の空いたチューブにはパッチをあてて,それを予備のチューブにすることに.さらにぼくは手袋を忘れてきたので,おおわださんからパールイズミの新品の手袋をお借りした.

そして開会式.

今年の抽選会のいちばんの豪華商品はダホンの折り畳み自転車「ゴッサムシティ」.大会 5 周年で奮発したそうな.笠間での開会式は,笠間の観光案内とかちょっとおかしいなって思うところもあるのだが,毎年参加数が増えることに地元の人は喜んでくれているようで,歓迎されているんだなって感じで良い雰囲気の式ではあります.

そしてスタート.おおわださんの 1 分遅れでゼッケン 105 のぼくはスタート.はじめは 25 km/h 以上の平均速度で走るために 27 〜 28 km/h くらいを目標に走り始める.前の人が遅ければ追い抜き.後から来た人についていけそうならついていく.そうしてだいたい自分と同じペースくらいの人を探すのだ.

走っていると,後から三連勝のジャージに固めたロードレーサの 2 人にローロレーサの一人がついていく.かなり高速.三連勝のジャージの一人は genie さん.ぼくは必死になってそれに追いつき,この高速のラインについていくことにした.巡航速度は 33 km/h くらい.かなり高速だが,一度くいついて後を走る分にはしばらくはついていけそうだ.結構楽をしてペースを上げることができた.そうこうしているうちに前方に小径車の鉄人おおわださんをとらえた.

その時登り坂に差しかかった.ぼくは足の回転数を一定に維持するためにギアを変速する.それにともなって車速がおちる.ロードレーサの人はダンシングぎみにしてがんがん登っていってしまった.登りで置いていかれても下りで追いつけるか?それはぼくの BD-1 では無理なのだ.今のギア比の設定では 40 km/h 以上は足の回転が追いつかないから無理なのだ.そんなこんなであっというまにロードレーサのラインからちぎれてしまう.しかしおおわださんは数台先.がんばっておおわださんの後にくっつくことができた.

50 km も走っただろうか? なんだがあまり身体の動きがよくないような気がしてきた.とにかく暑く,太陽がじりじりと照りつける.どうして思うように身体が動かないのか不思議におもいながらもなんとか中間地点である第二チェックポイントに.

その時点ですでに去年のタイムを短縮するのは絶望的で,ペースを落とさなければなんとか 8 時間で帰ってこれるかどうかという調子.しかも身体は思うように動かず,実際走っていてすっごくつらいのだ.途中棄権するならスタート地点に戻ってくる第二チェックポイントでおわりにして,そのまま会場に入ればハーフコースのひとと同じ扱いになって,一番良いのだ.

なんとか第二チェックポイントにたどり着く.GPS で確認するとすでに 90 km くらい走っていて時間はまだ 4 時間たっていない.つまり160 km を 8 時間というのを目標と考えれば,まだなんとかなるかもしれない.

けっきょくは途中棄権は嫌なので,頑張って最後まで走ることに.休憩もそこそこすぐに第二チェックポイントも出発する.

第二チェックポイントをすぎてから,いよいよきびしくなってきた.どう考えても普通の隊長ではない.いったいどうしてこんなに身体が動かないのか?
「そういえば寝ていないな....」

前日の夜.友達からの相談事でかなり遅くまでチャットしていたのだ.で始発に乗って出てくるためにかなり早起きだった.よくよく考えてみると 2 時間も寝ていないのに,元気に 100 km も走ったのだ...やっぱり寝不足か(笑).

試しに木陰になっている歩道で横になって目を閉じてみる.するとどうだろう,ものすっごく気持ち良いのだ.これで不調の原因が寝不足であるとはっきり分かった.しかたないから,ペースをぐっと落としてゆっくり走ることにし,休憩もときどきとることにした.

前半は時速 28 km 以上のペースでがんがん飛ばしてきたので,まだ自分より後を走っている人は沢山いるようだ.ペースを落とすとどんどんと抜かれていく.

コンビニで休んでいると GIANT MR-4 で参加のぽたりんさんにに合った.ぼくは先に出発したのだが,やはりあっと言う間に追いつかれて抜かれてしまった.

すでに 8 時間で走りきることは無理とは分かっていた.自分のペースで走るしかない.はじめてこの大会に参加したときには 9 時間ほどで,最終車がすぐ後にせまっていた.今回もかなり遅いペースだが,はじめての大会の時と違うのはまだ周りには走っている人が沢山いることだ.まだ大丈夫だ.

最後までペースをあげることができずに本当にへろへろになってゴールにたどり着いた.

おおわださんの車はすでにもうない.きっとおおわださんがゴールしてから 2 時間以上たっているのだから当然である.

とくにかく無事にゴールしてぼうぜんとしていると先にゴールしたぽたりんさんに声をかけられた.車で駅まで送ってくれるというのだ.すでにすべてを使い切って駅まで自走するのもつらいという状況だったので,喜んで車に乗せてもらった.しかも助手席に座ってあっという間に寝てしまった(笑).

適当な駅まで送っていただいて,電車に乗った.実家の最寄り駅までたどり着いたのだが,10 分もかからない距離を自転車で帰るだけの気力がやっぱりない.初めて走ることのできる状態の BD-1 をタクシーのトランクルームに入れて,タクシーで帰ることにした....

今回はいろいろ勉強になった.
やっぱりサイクリングの前には十分睡眠をとらないとだめですね.

来年の大会では去年のように会場近くのホテルに一泊して十分睡眠をとって大会にのぞむようにしようと思う.



おのひろき onohiroki@cup.com