| 大会参加レポート | コース説明 |
センチュリーラン笠間は 1998 年で 3 回目の開催で,笠間市の芸術の森公園を会場とし,筑波山を中心に大きく一周します.160 km のセンチュリーコースと 90 km のショートコースが設定されました.今回ぼくはセンチュリーコースに参加しました.この大会はレースではなく,一般公道で行われるサイクリング大会です.センチュリーコースには 168 名のエントリーがありました.
早朝 3 時半に弟の車で家を出発.結局今回もほとんど寝る時間を確保できなかった.車の運転のできないぼくは,助手席で目的地までぐぅぐぅ寝ていた.今回は弟のなじみの自転車ショップであるオッティモ柏から申し込んでいるので,登録上ぼくもチームの一員となっていた.そのオッティモ柏の人達と柏で合流して笠間へ向かった.笠間の会場となる芸術の森公園に到着すると,みな自分の自転車の準備を始めた.
実はこの日は,出かけてくる時点では大雨だった.会場に着いた時には雨はぱらつく程度になっていたが,ぼくと弟はしっかりと防水素材のウェアを上下に着込む事にした.他の人達はウィンドブレーカだけとかずいぶん簡単な装備だった.ぼくは普段のツーリングの装備そのままだ.輪行バックを持って走らない事だけがいつもと違う.ぼくの自転車は折り畳み自転車の BD-1.弟はいつものトライアスロン用のロードレーサではなく,GT LTS-4000 というマウンテンバイクを持ち込んだ.ただし彼のマウンテンバイクは,トライアスロン用のDH バーをハンドルに取りつけ,タイヤをスリックタイヤに交換してあった.
会場を見回すと大半がロードレーサで,流行り物のマウンテンバイクがある程度混じっているという感じだ.フロントバックをつけている人は,ぼくの他には泥除け付きのサイクリング車(ランドナーというんでしょ)の人を一人見かけたくらいだ.みな気合いの入った自転車を持ち込んでいたようだ.
結局出走時にはまた雨が降り出した.その雨の中を 10 人ずつに区切って 1 分おきの出走だ.ゼッケンの若い順に走り始めたのだが,ぼくのゼッケンは 101 番.弟が 102 番である.ちなみにあとになってから知ったのだが,160 Km のコースの人は 1 から 168 の番号で,90 km のショートコースを走る人は 200 番以降の番号だったのだ. 今回,弟はぼくと一緒に走ってくれることになっていた.彼はトライアスロンの為に鍛えてあるので,どんどん先に行くだけの体力があるのだが,今回はゆっくり走るということであった.弟とははじめはゆっくりと走り,様子をみてペースをあげていこうという打ち合わせだった.アップなどはやらないので,はじめの 30 分程はゆっくり走らないとかなり辛い.
しかしひとたび走り始めてみると,先をゆく弟はかなりのペースで飛ばしていく.なんどもレースにも出場している彼なのに,まわりの雰囲気にやられている.普段よりもずいぶん重いギアを踏んでいるようなので,彼にそれを指摘してゆっくり行こうと声をかけた.
ロードレーサの人,MTB の人.多くの人がぼくらを抜き去っていく.ぼくらが追い抜いた人の数よりもぼくらを追い抜いていった人の数の方が多い.泥除けのついている自転車はごくまれで,他の人のすぐ後につくと,後輪が巻き上げる泥をまともにかぶることになってしまう.途中で雨が上がってきた.左手には筑波山が見えるはずであったが,雲に覆われているようで,山はまったく見えない.しばらく走り,特に問題もなく第一チェックポイントに到着する.
第一チェックポイントは柴尾公民館.ここまで来るともうほとんど雨もやんでいたので,雨具をしまう人も多かった.ぼくらは気温がそれほど上がっていなかったこともあってそのまま着替えないことにした.着替えるのは気温が上がってからでもいい.公民館を使っているのでトイレも借りられたし,雨で身体が冷えているだろうと用意されたストーブに当たることもできた.受付を済ましてしばらく休んでからまた走り始めた.
信号などで止まる時など,適当に休憩を取りながらすすんだ.そろそろ昼食時という時間になって,ちらほらとコンビニエンスストアに寄って昼食を取っている走者がいる.第 2 チェックポイントの前に,ぼくらもコンビニエンスストアの一つに寄って適当なものを買って,そこの駐車場で昼食にした.時刻は 12:00.ゆっくり昼食をとっていると,さっきぼくらが追い抜いた走者が先へ進んで行く.競走ではないから順位などはないのだが,それでも他の走者は気になるものだ.
昼食後少し走るとすぐに第二チェックポイントについた.ここはトレーラが受け付けになっていた.まだ昼食時に休んだばかりなので,受付を済ませたらすぐに出発することにする.
雨のためか後のギアまわりにずいぶん砂や泥がついたようだ.この日は高粘度タイプのチェーンルブを使っていたのだが,それが裏目に出たようだ.走っていて嫌な音がする.ボトルの水をシャワーのように吹きつけて砂を洗い流す.それだけで嫌な音はしなくなった.
第二チェックポイントの後は山坂道になる.ここまで来るとかなり走者がかなりまばらになってくる.もうぼくらを追い抜くような人はとっくに先に行ってしまったし,ぼくらに追い抜かれるような人は,皆追い抜いてしまったからだ.
14 時前に中山峠にたどり着く.峠と名前がつくところでは,やはり写真を撮っておきたいところだ.ここらへんがぼくらののんきなところで,三脚を出して 2 人列んで記念撮影を行った.この大会の参加者で途中でわざわざ三脚を出して写真を撮った人が他にいるだろうか,いや他にはいまい.
ぼくも少し疲れてボーとしていた.コースを示す看板を見落としたのだ.弟がちゃんと見ていたので,コースを見失わずにすんだのだが,途中で道に自信がなくなってしまった.他に通る走者はいない.コースを間違えたのではないか.弟と 2 人で話しているうちに弟も自信がなくなってしまって,一度看板まで戻ってみることになった.結局ぼくらは間違っていなかった.そして時,一人の走者がぼくらを抜いていった.彼もあっちに進んでいくし,きっとそれでいいのだと思った.その走者は速かった.彼のマウンテンバイクは急な坂道でもぐんぐん登っていく.あっというまに見失ってしまった.結局一度戻った分だけ余分に時間をとってしまった.痛恨である.
時間の余裕がほとんどなくなってきた.前もって配られたコースの各通過地点での予想時間と照らし合わせるともう 10 分ちょっとしか余裕がないのだ.弟は何も問題が無いのだが,ぼくの体力と BD-1 の 7 段変速では,登り坂が遅すぎるのだ.平地ではそれほどではないが,登り坂では他の人と比べると明らかに遅い.ここから先はまだ坂が多く,しかも残り時間は少ない.キビシイ展開になってしまった.
普段のツーリングでも同じだが,パンクに備えて予備のチューブとタイヤレバーそして空気入れを持ち歩いていた.そうでなければパンクしてしまったらどうにもならなくなってしまう.そしてパンクは起こったのだ.道端で先ほどぼくらを抜いていった MTB の人が前輪を外していた.どうやらパンク修理のようだ.あいさつして通りすぎようとしたら声をかけれた.「ポンプ持っていませんか」
聞けばパンクして予備のチューブには交換したものの,空気入れは持ってきていなかったそうだ.そこでぼくの空気入れを貸してあげた.なんでもミスコースをして遅くなってしまったそうだ.ぼくらは結構速い人なのに,どうして今ごろこんな所を走っているのかと不思議に思っていたのだ.彼にとってはコースミスにパンクだからさんざんだ.
彼が空気を入れるのを待っていた時に,それはやってきた.軽トラックの大会サポートカーである.パンク修理をしているぼくらのまわりにサポートカーの人達が集まる.皆自転車好きの気の良いおっちゃんといった感じである.サポートカーというのは不正確で,実は回収車なのだ.棄権した走者などを回収するのだそうだ.回収車の後に走者なし.つまりその場にいるぼくら 3 人が最後の走者なのだ!
びりかもしれないと思ってはいたが本当にびりだった.ぼくらが抜かしてきた人はみな棄権して回収されてしまったのだろうか.彼が空気を入れ終わったところで,ぼくらは彼とサポートカーの人達をそこに残して先を急いだ.彼は速い,きっとゴール前に追いつかれるに違いない.しかしそれ以前に今は自分達が第三チェックポイントを無事通過して制限時間内にゴールできるのかどうかがあやしいのだ.
ワンボックスカーが停められていて,受付のテーブルが出されている.第三チェックポイントである.なんと受付の人はもう引き上げるために片付けを始めているではないか.本当に時間いっぱいぎりぎりで受付をすませる.パンクの彼にはまだ抜かれていない.彼はどうなっただろう.
もう,ゴールまではすぐそこである.ゴールはスタート地点に戻るわけであるから,一度通った道などもあってゴールが近いことがわかる.もう休み無しで先へ先へである.ゴールは 17 時までである.もう時間がない.
なんとか本当に時間ぎりぎりになって芸術の森公園に戻ってくる.公園の中にゴールがある.まわりのスタッフから拍手で迎えられる.受け取った完走証には 8 時間 57 分 57 秒と書いてあった.すぐあとにあのパンクを修理した MTB の人も無事にゴールした.
かなり無謀だという話もあった BD-1 によるセンチュリーランへの参加だったが,結局なんとか完走する事ができた.他のひとからは「きびしい」といわれても本人は楽に完走できると思っていたのだが,それはやっぱりあまかった.ぎりぎりかろうじての完走である.しかもびりから 2 番目!それだけにとても印象に残る大会になった.とにかく完走したのだ.
今回このセンチュリーラン笠間に参加して,皆ぼくの BD-1 をほめてくれた.「良い自転車ですね.」そして,驚く人もいた.「この小さいので 160 km 走るつもりなの!」今回は BD-1 でもこれだけ走れると広くアピールすることができた.これでまた BD-1 を欲しくなった人が一人でもいればとか思うのだった.
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2001 年 9 月 6 日修正
おのひろき onohiroki@cup.com