麦草峠アタック 2001

初日 2001 年 9 月 22 日

麦草峠アタック2001.ぼくにとってはセンチュリーラン笠間と並んで 2 大イベントの一つだ.今年も去年と同じように BD サイクリングクラブ・メーリングリストで参加者を募った.今年は去年の吉田信生さんのレポートに感化された人が沢山いたからか 12 人もの人が集まった.かぜはるかさんがロードレーサで,いっとくさんがアマンダのホイールサイズが 700C のツーリング車.それ以外は全て車輪が小径の折り畳み自転車だ.アマンダの折り畳み 1 台,PocketRocket 2 台以外はすべて r & m BD-1 シリーズ(Birdy) と圧倒的に BD-1 シリーズが多かった.プジョーパシフィックでの参加がないのがめずらしい.

ぼくは他の何人かと新宿駅で待ち合わせて,朝一番の特急スーパーあずさ 1 号で茅野駅に向かった.6:40 入線,7:00 発の列車の自由席に座るために 6 時ごろから待っていた.列車は立っている人が沢山いるほど混雑したが,ぼくら 5 人は自転車を置く場所と自分が座る場所を確保することができた.ぼくは少し寝ようかと思っていたのだが,結局皆といろいろとしゃべっているうちにあっと言う間に茅野駅に到着したのだった.

茅野駅についてみるとすでに到着している人に出迎えられた.すぐに皆集まってくる.総勢 12 人.いやぁー,今年は大人数だ.
朝出てくる時はどんよりどよどよした雲に覆われていた空も,今はすっかり良く晴れている.

9 時 40 分に出発予定だった.簡単に自己紹介などをすませてさっそく出発する.とりあえずぼくが先頭を走ることに.まずはコンビニエンスストアで買い出し.そこでもあまり時間をとらずすぐに出発する.11 時ごろ糸萓大橋で休憩.

出発してからずっと登り坂だが,まだそれほどの登りではない.皆はまだそれほど疲れた顔もしていないようだ.去年は吉田信生さんの様子を見ながらで,もう少し休憩が多かったような.いくつか印象に残っている休憩ポイント.でも回数を重ねるたびに「こんなに近かったのだ」と認識を新たにする.

それから 15 分ほどで観光センターに.糸萓大橋からたった 15 分しかなかったかと思う.地図が描かれた看板やトイレがある.ここでトイレ休憩.
ここら辺からあたりは別荘地に.
別荘地の終りに売店がある.この売店が買い物をできる最後の場所になる.たしか前回などはここでも買い物をしたはずだが,ボトルの水も十分あるし,特に買い物をしなくても大丈夫なようだ.10 分ほど休憩をして出発.12 時 5 分.

人数がいるのでどうかと心配したが,けっこうここまでは良いペースだ.吉田信生さんは,去年は泣き言を言いながらだったような気がしたが,今回は自分のペースを崩さずに一人でたんたんと走っているように見える.
比較的苦しそうなのは,にちさんとたかさんだ.でもその後にはいっとくさんやミキさん,須藤さんといった頼りになる人がついていたので,後方はまかせておいても大丈夫.

今回はじめて顔を合わせるメンバーも多く,それぞれがどのくらいの余力を持って走っているのかさっぱりわからない.すぐ後がちゃんと着いてきていると思って走っていて,気が付くとさらに後はかなり遅れているってこともたびたびあった.ペースや休憩のタイミングなど大丈夫かなぁと心配し,そしてあまり遅くなるとそれはそれで困るのだと心配し.

売店から 1 時間ほど走って,13 時 3 分にゲートに到着.このゲートは冬期に道を封鎖するためのゲートだ.ここで全員がそろうのを待つ.今回はここからはそれぞれのペースで勝手に登ろうってことで,ここからアタックをかける.つまり全力で登るのだ.
実際そこまでだってぼくは勝手なペースで登っていたのだが. ゲートで 10 分ほどの休憩をして,アタック開始.まず赤いポケットロケットのミキさんが前に出る.ぼくはその後に着いてみるがすぐにぼくには着いていけないということが分かった.ペースを落とすと何人かが前に出ていく.やはりまだまだ他の人には余力があったのだ.


それでもこれまでの麦草峠よりは,断然楽に登っている自分に気が付く.もう特に休憩を入れなくても最後まで一気に走ることができそうだ.
13 時 41 分.麦草ヒュッテの前に到着.ここで皆で集合するという約束だったが,もうちょっと先に国道の麦草峠の看板があるので,そこに行って写真を撮ろうとさらに進む.そこで写真を撮って麦草ヒュッテの看板前まで引き返す.
麦草ヒュッテの看板前に戻ってみると,まだ到着していない人があるようなので,「一度登り切ったら,もう一度下って最後尾に着く」と公言していたので,坂を下っていく.

さむい!

この日の天気予報では東京でもかなり涼しいという天気.標高 2000 m をこえる八ヶ岳が寒くないわけがないのだ.登っているうちはそれほど感じなかったが,下るとめちゃくちゃ寒い.防水・防風のジャケットをはおらなかったのを後悔しながら,ゆっくりと下っていく.
思ったよりも最後尾は登ってきていた.
最後尾について一緒に登っていくと,また麦草ヒュッテの看板が見えてきた.皆が待ってる.
14 時 7 分.全員がそろった.下るのはあっという間なので,この時間に登りきることができれば,後の行動にはまだ余裕がある.

全員で看板の前に並んで,いくつかのカメラで順番に記念撮影をする.
やっぱり外は寒いので,とりあえず麦草ヒュッテに入る.ここで温かい食べ物にありつくことができた.ぼくはカレーうどん.前回はあまり広くないと思ったのだが,実は奥にもテーブルがあって,メンバー全員が余裕を持って席に着くことができた.しばらくゆっくりして 15 時ごろには出発の準備を始める.

皆それぞれに用意してきたレインウェアなどを着込む.下りはスピードが出て風を切るので防風性のあるウェアを着込まないと寒くてたまらないのだ.レインウェアはもちろん防風性も備えているので,こういう時に着込むと良い.レインウェアの他に,グローブも自転車用で良くある指の先が露出したタイプから,指の先まであるタイプに取り替える.
ぼくはしゃれで耳あてまで持ってきたので,それもつける.

15 時 15 分.ぼくが先頭で下り始める.時速 40 km までとかいいつつ 50 km 以上のスピードが出てしまう.スピードを殺すためにブレーキをかけっぱなしというのも,それはそれであまり良くない.なるべくコーナーに入る前の直線でぐっとブレーキをかけて減速して,ブレーキを解放してからコーナーに入る.コーナーを抜けたら,次のコーナーに入る直線でまたブレーキ.それの繰り返しだ.直線区間が長い場合は,ブレーキを少しかけたり解放したり.

ぼくの防風の装備は,JackWolfskin の防水ウェア上下.ゴアテックスの靴下.ゴア・ウィンドストッパーのグローブと耳あて.まさに全身防風装備だ.我ながらやりすぎかなって思ったのだが,下り始めてみるとそれでちょうど良いくらいだということがわかった.耳あてもして良かった.露出している顔が冷たい.

予め Macintosh の MapFan II というソフトでルート検索したコースが GPS に入っている.今回も八千穂ではなく松原湖に抜けるコースを取る.国道 299 号をそれて松原湖方面に曲がるところでいったん停車.全員がそろうのを待つ.

全員がそろうのを待ってから出発.途中で GPS に設定してあったルートとそれたことに気が付いたが,以前走ったことがある道だから,どっちでも良いだろうって感じでそのまま進む.道は小海リエックススキー場のゲレンデの下をくぐって,松原湖へ.あっと言う間に松原湖前を通過する.15 時 54 分,国道 141 号線にあたる松原湖入口交差点に.酒屋の前だ.

後続を待っているとミキさんから電話がはいる.にちさんが転倒してしまったそうだ.幸い大した怪我ではなく,走って降りてこれるとのことなので,そのまま到着を待つ.最後のミキさん,にちさんが降りてきた.転ぶときに頭からいったそうだが,どう転んだのか大したダメージは無かったようだ.ヘルメット被っていてほんとに良かった.

なんとなくその場の雰囲気で,野辺山まで自走する組と輪行で別れる組に別れることになっていた.にちさんは輪行希望.やっぱり転んだ後は冷静さを欠いたりするので,なるべく走らないほうがいいとぼくも思っていた.本人にしてみれば,きっとどこか痛みがあるのだろう.
いっとくさん,須藤さんは去年の麦草アタックのメンバーだから宿は良く知っている.吉田信生さんも分かっているはずなのに,自信が無いという.他に宿がはっきり分かっている人がいなければ,ぼくも輪行しようと思ったが,前もって宿に車をおかせてもらっているこぐさんがはっきり分かるってことなのでぼくは自走組に.自走組みは,須藤さん,いっとくさん,ミキさん kei さん,そしてぼく.kei さんは今回初めてお会いしたのだが,青いポケットロケットにレーサジャージでばっちり決めた感じでなんか速そうだし,実際に登りも速かったような.やっぱり元気な人ばかり残ったみたい...

野辺山の駅前の酒屋で飲み物を買ってから宿に行くのは決定事項なのではあるが,あそこには地酒はないのではないかしらんってことで,松原湖入口交差点の前の酒屋で須藤さんが日本酒を一本購入.それを輪行組みに渡してくると須藤さんが一人で駅に向かう.須藤さんがもどるのを待って,自走組も出発だ.

ルートはいろいろと考えてみたのだ.国道 141 号をそのまま走っていくと,海の口あたりで急な坂がある.その国道はせまいわりには交通量の少なくない.走ってあまり楽しくない場所なのは間違いないところ.そこを避けるためにこぐさんの情報を参考にして 141 をしばらく走り,海尻駅あたりを過ぎたあと,千曲川にそそぐ湯川と高石川の間の道を入り,海の口牧場へ抜けるというルートを選ぶ.海の口牧場まで行けば,何度も遊びに言ったことがある千ヶ滝(同じ名前の滝が他にもけっこうある)はすぐそこだ.

紙の地図(GPS ではなく)で確認しながら,141 を左に曲がるポイントを探す.ここのはずだと小さな農道に入っていったが,目の前のものを信じられずに皆がいったん停車した. 目の前の道は,壁に真っ直ぐと向かっている.

「なんだあの壁は!」

とにかくその壁にしか見えない坂を登らなくてはならないことは皆理解していたはずだが,覚悟を決めて走り始めるまでどれくらいの時間を要しただろう.実際にはすぐに走り出したのかもしれないが,かなりの時間ボーゼンとしていた気もする.

気を取り直して走り出すのだが,登ってみるとやっぱりキツイ.最後の最後にこんなドラマが用意されていたとは!
「天国への坂」
誰かがつぶやいた.

その坂を上り切ってみたら,さらにまた登り坂だった.つまり傾斜はちょっと緩くなったものの,やっぱり登りであることには違いはないのだ.GPS で標高を見ていると,野辺山の標高よりも 100 m ほど高くまで登ったようだった.

ちょっと冷静になってまわりを良く見てみると,林の中の車の少ない川沿いの道であるとか,以下にも高原という感じの畑の中を通る道であるとか,なかなか良いコース.でもぼくらは麦草峠を終えて,これから宿に帰るところなのだ.どこまで登るか分からない坂というのはやっぱり辛い.
しばらくすすむとやっと海の口牧場へ.ここまでくれば大丈夫.やっと知った道へ出ることができて安心した.

さて,千ヶ滝への知った道まで来た物の,ここからどうやって野辺山まで言ったものか.坂を下って国道 141 号へ出るか,坂を下らずにまっすぐ南に向かうか.目の前の坂を下るとなるとかなり下りそうだ.141 号からこの坂を登ってここまで来たことは何度かあるが,下った後の国道は,こっちからだと登るはずだがそれがどのくらいの登りだったか.南に行くには多少のアップダウンはあるが大したことはなかったような.
皆にこの坂を下っていくと,国道に出てだらだらと登るかも.南に進むと標高をたもったまま多少のアップダウンを経て野辺山に出ると説明.結局南に進むことに.

記憶よりもアップダウンがあったが,周りのみんなは元気に走っているようなので,まぁいいかぁって感じでちょっと遅れて着いていく.一度もきつい登りにあうことなく 141 号にぶつかり,そこを下ると野辺山駅.あの時の南に進むという選択は間違いではなかったと皆は満足そう.(実はあの時坂を下って行っても,その後の 141 号はほぼ平らだったような...)

思いがけず麦草峠の後にもキツイ登りを体験することにはなったが,輪行組みからそれほど遅れることもなく,無事に宿「こっつぁんち」に到着したのだった.

その後宿で食事をしてから,こぐさんの自動車と他の宿泊客の車に乗せてもらって皆で駅前の他の宿の温泉に.(こっつあんちのお風呂はとても小さいのだ)

風呂の後は宿に戻って,皆で酒を飲んだ.自走組みのメンバーは輪行組みに,別れた後でどんなドラマがあったかを熱く語ったのだった.

2 日目 2001 年 9 月 23 日

皆で宿の前で記念撮影をしてから出発.

2 泊するのは吉田信生さん,いっとくさん,須藤さん,たかさん,こぐさん,おのひろきの 5 人.それ以外の人はそれぞれのルートで帰り道につく.ミキさんは信州峠に向かうということで,途中まで一緒.

2 日目のぼくらは,宿の主人のこっつぁんの提案を取り入れて,川上村から標高 1620m の馬越峠を越えて南相木村へ降りて,そこで温泉に入ることにした.

ここらへんはけっこう須藤さんが道を知っていた.信州峠へ向かうために途中で別れたミキさん.ぼくらと別れる所はかなり急な登り坂だったが,すっごく元気に登り坂に吸い込まれていった...
なぜにあんなに元気なのか.

この日もとても天気が良かった.馬越峠を登り始めてしばらくは畑の中を走る道で,木陰で休みたいのに日を遮るものはなにもないという感じだった.さらに登ると林の間を通るようになる.木漏れ日がきれいだ.とてもキモチが良い道だ.
皆,この峠が気に入ったようだ.やっぱり吉田さんはウソツキだなんて話をしているうちに馬越峠を登り切った.峠とはいっても見晴らしの悪い麦草峠とは違って,馬越峠は見晴らしが良い.岩の間を切り開いたような峠.川上村側も南相木村側もとてもよい展望だ.残念なのは自動車が沢山停っていること.天狗山への登山者が置いていった自動車だろうか.自動車さえなければすっごく良い写真が撮れそうなのに.

馬越峠を下る.南相木村から登るほうがきつそうだ.下りでよかった.
下り切ったところでこぐさんのフロントスイングアームのピボットのねじが緩んでいると言うので見てみると,ホントにすっごく緩んでいた.温泉はすぐそこなので,とりあえずはそのまま温泉へ.そこでこぐさんのフロントスイングアームのピボットのねじを締め直す.かなり太いアーレンキーが必要なのだが,ぼくが Sat R Day をケースに収めるときにクランクを外すために持っている太い 8 mm アーレンキーがちょうどだった.それで締める事ができたのだが,締める前は脱落寸前.おそらく麦草峠の下りでここまで緩んでしまったのだろうが,無事に峠を降りることができてなにより.下りでかなりハンドルがぶれたとのことだが,こんな状態では当然である.

「滝見の湯」は「犬ころの滝」という滝の前にあり,お風呂から滝が見える.露店風呂もあった.温泉の後は,そこで食事をしてまったりとした時間をすごす.こういうのんびりしたのもいいものだ.

立岩湖の前をとおり「立岩の滝」,「おみかの滝」と見学した.ぼくはまぬけなことにおみかの滝で鍵を落としてしまい,手持ちの工具でワイヤー錠を切断することに.小さなペンチ一つでもけっこうあっさりと切断できた.これにはやった本人もびっくり.実は切断する直前に,須藤さんがぼくが落とした鍵を見付けてくれたのだが,ぼくが切断してしまう方が早かった...

その後は順調に進んで小海駅.昨日輪行組みが輪行した松原湖駅の一つとなりだ.ディーゼルで走る小海線に乗りながら昨日走ったあたりを窓から確認したりして.
大して走っていないのに,野辺山駅に着いたのはちょうどよい時刻だった.宿に戻るまえに駅前で風呂に入って,宿に戻るとちょうど夕食時だ.そしてまた酒を飲む.
おのひろきは酒を飲まないと知られているが,実はキライではないので,ほんのちょっとなら飲む.
飲んだら乗らないのだから,あまりお酒を飲む機会もないのだ.それに飲むと眠くなるし.その点,泊まりの場合はすぐに寝ることができるのであまり問題はない.

3 日目 2001 年 9 月 24 日

3 連休を利用してのこのイベントも最終日だ.須藤さんはダートのある三国峠を越えるルートで帰るということだ.ぼくの BD-1 は,プリモコメットという舗装路用のほとんど溝もないタイヤをはいているのでダートを走る気にはなれない.それで須藤さん以外は八ヶ岳有料道路を下って,小淵沢で温泉というコース.

宿の前で須藤さんと別れて,まずは野辺山電波天文台を見学.朝早くからやっているか不安だったが,ちょうど 8 時半からってことで入ることができた.電波望遠鏡のパラボラは初めは天頂を向いていたのだが,ぼくらの目の前で動き出して,ぼくらのほうに向いたのだった.これはとても良かった.思ったよりもここの見学は好評だった.

次に向かうのは JR 線の最高地点.野辺山駅よりもちょっと清里よりが JR の鉄道ではもっとも標高が高いのだ.そこの売店でアイスクリームを食べる.今日はこれと清里の清泉寮のアイスクリームを食べ比べるのだ.

去年は,学校寮入口から美し森へ向かったが,今回は清泉寮に寄ってみようってことで,141 号を清里まで下ってしまう.あまり気が乗らなかったが,清里駅前を通過.ほんとはそこから清泉寮のほうにむかうはずだったのだが,県道 11 号にそった形で,林のなかにサイクリングロードがあったので,そこを走ってみることにする.さすがにレンタサイクルなどでも走れるように整備されている道なので,くねくねと曲がったそのサイクリングロードは傾斜がとても緩い.狭くて落ち葉が多いのが残念だが,まっすぐの坂道を登るよりは良い.結局その道を登ったら,清泉寮には行くことができないのだが,思ったよりも楽をして美し森へでた.こぐさんおすすめなので,美し森の展望台へ.その日はとても天気がよく富士山が良く見えた.初冠雪したってことでとてもきれいだ.
その景色のすばらしさに感動しつつ,アイスクリームを食べる.ここのアイスクリームは原則として清泉寮のものと同じ物だという.なるほど,なら清泉寮はいかなくてもいいかぁ.

帰りの電車は絶対に混雑する特急を避けて,ホリデー快速ビューやまなし号を使うことに決定していた.その列車は 15 時 55 分に小淵沢始発だ.小淵沢でゆっくり温泉につかるつもりなのだから,清泉寮はあきらめて早めに温泉に向かおうということになった.

ここで宿に自動車をおいてきているこぐさんと別れて,残りのメンバーは小淵沢へ.
八ヶ岳有料道路は多少のアップダウンがあるものの,全体的には下り基調で,それほど苦労せずに走ることができる.そしてしばらくして小淵沢に.

小淵沢では自動車が渋滞していた.近くにアウトレットモールができたとのことで,そこに向かう自動車で渋滞しているのだ.ぼくらはアウトレットモールとは反対にあるスパティオ小淵沢へ.そこの延命の湯に入る.いつものコースだ.
温泉を楽しんだ後は,スパティオ小淵沢のホテルの最上階にある中華料理店へ.これも定番か.
スパティオ小淵沢を出た後で,ちょっとアウトレットモールを冷やかしに行こうかと思ったが,あまりの渋滞のひどさに,そうそうに退散.アウトレットモールへは近づくこともできなかった.
あんな渋滞の列に並んで,小淵沢でアウトレットモールに行くというは,いったいどういうことなのだろう....

何度も走った道なので,すんなりと小淵沢駅に到着.やはりホリデー快速ビューやまなし号はそれほど混んでいなかった.ぼくらが駅のプラットホームに着いたときにはすでに並んでいる人も居たが,2 階建て車両の 1 階席に来る人はいなかった.途中から混むかと思ったが,最後まで空き席があるままだった.
ぼくは立川駅で南武線に乗り換えるために皆と別れた.こうして今年の麦草峠アタック 2001 のイベントが終わった.

麦草峠アタック 2001 を終えて

ぼくとしてはセンチュリーラン笠間 2001 と麦草峠アタック 2001 を走って,ぼくの BD-1 のギア比は今のぼくにバランス良くなっているということが確認できた.
次は短いクランクを試すのと,荷物の積載方法をもう少し工夫したい.

すでにメーリングリストで参加者を募っての麦草峠アタックは 2 回目で,ぼく自身は 4 回目.ぼく自身にある程度ゆとりがあったので良かった.それにこぐさんがぼくよりずっと地理に明るくて,いきあたりばったりなぼくに適切に情報・アドバイスを入れてくださった.

実は今回は準備があまくて,ぶっつけ本番的なノリだったのだが,結果としては参加者全員が,無事に麦草峠を登りきることができてホントに良かった.下りでにちさんの転倒というトラブルもあったが,それも大事にいたらず幸いだった.ペースや休憩の回数など,まだまだ調整が必要かな.

2,000 m を超える峠を登るという企画なのに,10 人以上の参加があったということに驚いた.BD サイクリングクラブが折り畳み自転車のサイクリングクラブとして,十分機能していることが,このことからも確認できた.

麦草峠アタックは今回のペースで,ほぼベストな状態だったと思う.無理のない集合時間,無理の無い宿への到着時刻.
電車があと一本遅れても,宿へ事前に連絡しておけば大丈夫だと思う.それに麦草峠への到着時刻も,もう少し遅れてしまうことがあっても何とかなりそうだ.次回はもっと遅れた人が出た場合にどうやってフォローするかなどを考えておくのが課題だと思う.今回は特に遅れる人もなかったのが幸いだった.天気も良かったし,良い条件のなかで峠の登りを楽しめたと思う.

休憩時間とかがちょっと少なめだったので,人数が多いのもあって初日はあまりおしゃべりする時間が足りなかったかもしれない.特に日帰りの初参加の人とは,お話する時間が十分取れなくて,いまさらながら残念だったと思う.

こぐさんとにちさんが BD-1W での参加だった.BD-1W は見ていて良さそうだった.峠を登るのに十分軽いギアがあって,あれならどんな坂でも登ることができそうに見えた.
BD-3 ももちろん良い.BD-1 の 9 段変速も後が 34T だと,かなり軽いギアになるのだと分かった.それでも BD-1W や BD-3 のほうが楽だろう.いずれにしても昔の 7 速の BD-1 に比べれば,現行のモデルはどれも良いと思う.

吉田信生さんの走りは,前回と比べるとかなり頼もしくなっていた.そのウソツキぶりも「ぼくは嘘はついていない」なんてウソが平気で飛び出るほどグレードアップしていた.誰の目にも吉田さんの走りは,本人が言っているほどへろへろでないのは明白だったので,吉田さん走った後には「だまされた」というつぶやきがあちこちからこぼれたのだった.

前回の吉田信生さんの麦草峠アタックのレポートは大好評だったが,今年はにちさんがとても良いレポートを書いている.当日は「辛い登り」が後で「楽しい登り」と回想されるのが印象的.転倒時の描写なども引き付けるものがある.

走り終わったときからすでにキモチは来年の企画で,来年はどういう企画にするかという話題が初日の夜から出ていた.また来年も「麦草峠アタック」を企画したい.BD サイクリングクラブのイベントとしてこれからも続けていきたい.

麦草峠アタック 2001 資料

タイムテーブル

2001 年 9 月 22 日
麦草峠アタック 2001

ツーリングレポート

他の参加者のレポート

過去の麦草峠アタックのレポート