履歴もしくは日誌
2005 年 8 月の履歴(もしくは日誌)
2005 年 8 月
8 月 26 日
どのように他の人の感情や思考を認知しているか
まず最初に謝るべき事は,本来は私信でも良さそうな文を Web に出し,第三者の理解の為に十分な配慮が無かった事です.しかし公開した文章に対して反応がいろいろあったので,それはそれでぼくは面白かったのですが,最初にちゃんと伝えるべき事がうまく伝わらなかった感じがあります.ますは最初の失敗の修復を試みるところから始めましょう.まず話の流れが第三者に全く見えないのでそれを補完し,ぼくが挙げた例示での「共感できない」の意味と,それによる誤解が生じた背景を説明します.
事のはじまりは数人での茶飲み話で,コミュニケーションには共感を求める「共感型コミュニケーション」と情報交換を求める「情報交換型コミュニケーション」があるのではないかという話をしたのがきっかけです.ある女性は仕事では「情報交換型コミュニケーション」であっても,仕事以外では「共感型コミュニケーション」だという.ある男性は「情報交換型コミュニケーション」常に情報交換型だという.そこでその女性から仕事でもないのに情報交換型ばかりでなく,もっと楽に共感型のコミュニケーションを楽しめないのかと問いかけがあったのです.
そう,その女性は人間は誰でも共感型コミュニケーションが自然で楽な形だと思っていたけど,その男性にとって自然で楽な形は情報交換型だったのです.
この話題から男女の性差の話になり,さらに情報交換型と自閉症の関連などにまで話がすすみました.
その日はそれでおしまい.
その後ぼくはいろいろ本を読んで,そして読書報告を書きました.
面白かったのは,「共感する女脳、システム化する男脳」という本です.これは「共感する力」と「システム化する力」という 2 つの傾向でタイプ分けして論じていて,共感する力が強いタイプの脳を持つ人は女性の割合が多くて,システム化する力が強い人は男性に多いとしています.
最初に話題になった「共感型コミュニケーション」は「共感する力」を十分に生かしたコミュニケーションで,「情報交換型コミュニケーション」は「システム化する力」を十分に生かしたコミュニケーションと言えるかもしれません.
ここで「共感する女脳、システム化する男脳」という本を読んでもらえれば一番良いのですが,この本の著者の論文の日本語訳が Web 上にあるのでそれを一読してみるといいかも.短い文章です.
さてこの論文の中では「共感」を以下のように定義していました:
‘共感すること’は,他の人の感情や思考を認知し,これらに適切な感情で応える動因である.共感することは,あなたに人の行動を予測させ,他人がどのように感じるかについて配慮させる.本論文では,概して,女性は元来男性よりも強く共感する傾向があることを示すエビデンスをレビューする.‘システム化すること’は,あるシステムの中のいろいろなものを分析し,システムの行動を支配する内在する規則を引き出す動因である.システム化することはまた,システムを構築する動因にも関係する.システム化することによって,あなたはシステムの行動を予測し,それをコントロールすることができる.ここではまた,概して男性は元来女性よりも強くシステム化する傾向があることを示すエビデンスをレビューする.
普通に辞書に載っている「共感」はちょっと意味が違うかもしれません.デイリーコンサイス国語辞典では以下のようになってます:
- きょうかん [共感]
- 〈スル〉 他人の考え・感情をそのとおりだと感じること. (対)反感
Baron-Cohen 氏の論文の中の他の人の感情や思考を認知し適切な感情で応える動因という意味での共感は必ずしも相手の考え/感情に同調/同情することまでは含んでいないように思います.
それに対してデイリーコンサイス国語辞典の他人の考え・感情をそのとおりだと感じることとしての共感は対語に反感とあることからも,「そのとおりだと感じること」に重みがあるようです.
Baron-Cohen 氏の論文の文脈で共感しないというのは,感情や思考を認知できないとか,適切な感情で応えるきっかけがつかめないという意味であり,決して相手の考えに同意できないとか,相手に反感をいだいたという意味では無いのです.
そこで,ぼくが書いた共感は以下のように解釈して欲しいと思います.
- 共感する
- 相手の思考や感情を感じ取ること.
- 共感する力
- 相手の思考や感情を感じ取る能力.また相手の考えや感情を感じ取り,適切な反応をする能力.
- 共感しない/共感できない
- 相手の思考や感情を感じ取ることができない.
ですからぼくが「共感したふりをする」,「共感をエミュレーションする」という話をした時に,同情した振りをするという意味ではなくて,相手の感情を感じ取る代わりに分析とシミュレーションというシステム化する力を使って問題を解決することのことです.そして共感しないということには単に理解できない感じ取れないという問題があるだけで,反対意見や反感を持つという意味ではないのです.
話し手の感情や思考を認知し適切な感情で答える能力が生得的に強い人は意識無くそれを実行するかもしれませんが,その能力が弱い人は考えて努力して実行します.それが極端な場合は,人間の感情や思考を分析して規則を見いだし予測をして対処をするという処理をシステム化能力を駆使して行っているのではないかということです.それがぼくが言うところのシステム化脳による共感エミュレーションです.
そんなに極端なことをしていないにしても,共感する力が弱くてシステム化する事が得意な人は,共感する力の弱さをシステム化による手法によって補っているのではないでしょうか.
そしてシステム化を生かしたコミュニケーションってのは,思考や情報を整理して言葉で表現してのコミュニケーションになり,共感する力よりもシステム化する力が強い人はそういうコミュニケーションが普通になっちゃうわけです.
そういうことを考えながら,7 月 21 日のまきさんの叫びを読み返すと,また味わいがあるのではないでしょうか.
まきさんの叫びを引用します:
普段から情動薄くて人の気持ちが判らないと自負している私だが、気持ちを読み取ることが要求されている。弱ったな。みんな、言葉があるんだから言葉でコミュニケーションしようよ。
引用終わり.
「共感しない」の解釈の違いについて Mayunezu さんが書いています:
引用します:
私が書く「共感できない」は、「他人が感じることに対して自分が違う感じ方をしている」という意味だ。つまり、何が共感なのかということが分かっているから「違う」と思える。「共感性が弱い」人たちが書いているのは、「感じることができない」ということなのではないか、と思った。「感じない」から共感も反感も持ちようがない。
引用おわり.
そのとおりです.この点を最初にちゃんと伝えられるように書けなかったのは反省点です.
これでかなりすっきりしたと思います.
ぼく自身は,やっぱり共感する力よりはシステム化する力のほうが強い傾向で,共感する力の弱さ経験と学習と努力によってある程度補えているのではないかと思っていますが,いかがなものでしょう.
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